旅公演先の居酒屋で前田先生と一献かたむけるのが大好きだった私。ぬる燗が恋しくなってきた季節に、前田先生を想いながらこれを書きます。
「前田憲男×国府弘子ピアノデュオコンサート」と「ジャズピアノ・6連弾」でかれこれ20年。「ヤマノ・ビッグバンドジャズコンテスト」の審査員と進行役としてはそれより10年ぐらい前からご一緒させていただきました。もっと前、若造時代にテレビの音楽番組で彼のアレンジを弾かせていただくことも多くありましたが、当時は勝手な誤解をしており、「貫禄があっていつも表情を変えず、私なんぞに興味のない、チョットこわい大先生」なんて思っていたものです……が、それはうれしい大間違い。二台ピアノのコンサートで共演するようになって、どんどんオチャメで優しい面を知ることとなりました。ニカッと笑って「アナタもとんちのきいた人だねえ」と褒めて(?)くれたり、あれこれ体験談を語ってアドバイスしてくれた前田先生は思いやりにあふれる陽気な方であり、オーケストラ編曲の奥義やジャズ修行のあれこれをお聞きしました。
そう、音楽に関しては編曲も演奏も「オレは完全に独学だから」と言いつつ、相当な勉強家でいらしたのは確か。ジャズ、そして音楽全般に恋をした者ならではの「夢中」が人生に詰まっていらしたと思います。苛酷なスケジュールでの大量のアレンジ発注を抱えながらも、常に音楽を面白がり続けていらして、「アレンジャーってのは、寝不足が仕事みたいなもんだよ」という言葉すら実に楽しそうに聞こえたものでした……。
おっと、このままダラダラ思い出を語り続けるとエンドレスになりそう。この辺でまとめます。
このたびの「前田憲男音楽記念協会」の設立、嬉しいかぎりです。
前田憲男の粋でセンスあふれるアレンジや演奏に生で接することのできなかった後世の人にも、彼の残した素晴らしい音楽をぜひ知ってもらいたい。これは、幸運にもその音楽にリアルタイムで接し、共演がかなった我々ミュージシャン皆の願いである、と確信します。
ご長男憲一郎さんと私は同い年。私だけでなく、多くのジャズメンの「父」であり仲間であった前田先生の作品、功績を、ぜひこのホームページで見せていただけたらと思います。今頃は天国で宮川泰氏や羽田健太郎氏と連夜音楽談義をしつつぬる燗を交わしているであろう前田憲男氏。ジャズという音楽は破天荒なようで、実は「思いやり」でできている。このことが、前田憲男氏から教わった一番大切なことでした。
国府弘子
ピアニスト・作曲家・編曲家
国立音楽大学ピアノ科在学中にジャズに目覚め卒業後単身渡米、ジャズ界の重鎮バリー・ハリスに師事。帰国後1987 年ビクターJVCレーベルと契約、日米で24枚の作品をリリース。他、アーティストへの作品提供をはじめ、参加アルバムも数多い。
現在、川崎市市民文化大使、埼玉入間市文化創造施設アドバイザー、平成音楽大学、尚美学園大学客員教授。